京都 清水寺

桜満開の清水寺は、ライトアップもあり、
今週末は大変な賑わいではないだろうか。

一週間早く訪れた清水寺だが、
春の小雨に濡れた清水寺もまた良いものであった。

京都には何かのついでに寄ることが多く、
今回のような京都を目的とした探訪ははじめてのような気がする。
そのような京都であるが、清水寺だけは何度も訪れた記憶がある。
約40年前と比べると、境内の通路が整備され、大変歩き易くなったように思う。

探訪前に旅行本を見ていると、
清水の舞台について以下のようなことが書かれていた。

厚さ10cmの檜板416枚が張られている。
この舞台で、蹴鞠や相撲が行なわれたこともあるらしい。
観音浄土への「舞台」であり、祈願のために「飛び落ちる」人はあとを絶たず、
江戸時代だけでも未遂を含め234人を数えたという。

次のような説もあるらしい。
清水寺は、奈良興福寺と密接な関係をもっていた。
中世の興福寺と比叡山延暦寺との抗争は壮絶なものであった。
この2寺が争うときには、興福寺の出先機関ともいえる清水寺は、真っ先に比叡山の僧兵に焼き討ちにされてきた。
そのため、清水寺に古い建造物がほとんど残されていないそうだ。
崖上に張り出した本堂・奥の院は、一種の防衛上の意図があったようだ。






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